京極歴史発見 その3

「あるはずのないマンホール」

同志社幼稚園の前(下塔之段町)に、見なれないレトロな模様のマンホールが、少し離れて2つあります。その表面を見ると、いずれにも「下水 大正五年」と書かれています。これが、今回の話題の「あるはずのない大正時代のマンホール」です。

上京区に大正時代のマンホールの蓋が残っていることは、昭和61年にマンホール研究家の林丈二さんによって発見され、「芸術新潮」(同年4月号「特集・珍々京都楽しみ図鑑」)誌上で発表されました。この時発見された最も古いマンホールは大正2年製のものでしたが、これはもう残っていないようです。下塔之段町のマンホールが、京都でいちばん古いマンホールかもしれません。

この一連の大正時代のマンホールには、大きな謎があります。それは、京都で下水道が作られたのが大正12年からで、記録上では大正2年や5年にマンホールがあるはずがないのです。誰がどのような経緯でこれらを作ったものか、全く分かっていません。

なお、下塔之段町には別の新しいマンホールもあって、下水道が2本通っているようにも見えます。大正のマンホールの中はどうなっているのでしょうか。普段まったく気に止めない地面の下にも歴史があります。



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